死にたい夜に生き延びる方法
もうどうでもいい
自分が築いてきたものとは
って考え出すと自暴自棄になって死にたくなる
そういう時、昔の私はODで自殺未遂を繰り返した。
いまは寝逃げする、現実から無理やり逃避するくらいの気持ちで、
眠剤と安定剤(その時にあれば、酒)(オススメハシナイ)を1錠ずつかっこんで歯を磨いて布団に入る。
酒を適量仕込んでおけば、よりスッと眠れる気がして最近はそうしている。
死にたい気持ちも一晩は続かない。
目が覚める頃には、なんとなく昨日の事になっていて、今日も生きれる。
私のような脆い人間は、一時の感情で死なないことが何より重要だ。
今日もそうやって、私という人間を無理やりシャットダウンして、明日の自分にバトンタッチする。
おやすみなさい、さようなら。
明日はいい日だといいね。
先回し主義
私は後回しならぬ先回り主義の人間だ。
なんでも午前中のうちに全ての事を終わらせて、その後は1秒でも長く眠っていたい。1秒でも長く。
自分の性格を分かりやすく説明するなら、神経質で生真面目。そしてなにより変化を恐れている。
大袈裟に言ってしまえば私の毎日は同じ事の繰り返しで、反復作業なのである。
時々昨日と今日があまりに同じで、これまでの自分の人生の事やこれから先の人生ついても考えてしまう事がある(これでも普段は考えないようにしているつもり)。
何か積み重ねてきたつもりで振り返るとそこには何も無い。
先述したように私はなんでも先に片付けておきたい人間なのだけど夫はまるで違う、なにもかも後回しにする。
それを横で見ていて耐えられない私が、結局なにもかも片付ける羽目になる。非常に損な性格だと思う。
そして、そういう価値観の違いが全てのずれを招く。
本当は離婚した方がいいことを理解しているのに、変化を恐れる私が待ったをかける。
夫はそれを理解していて、その場しのぎの謝罪を繰り返す。
毎回、毎回毎回毎回毎回毎回同じ事の繰り返し。
本当に壊れてしまう前に、お互いのために、離婚した方がいいのだと思う。
広いベッドの真ん中で、手足を自由に伸ばして、安心して、ぐっすり朝まで眠りたい。
酒で眠剤をあおり、倒れるようにそのまま18時間寝続けたい。
私の願いは何一つ叶わない。
酒と精神病
この世で精神病の人間と相性の悪いものは?、と聞かれたら私は「酒」と答える。
心が不健康な上に気を紛らわす趣味も、娯楽を得る財もない人間は、酒かあるいは精神薬に縋ることになる。
私は精神病で、精神薬と睡眠導入剤なら医師から処方されて持ち合わせている。
なんとなく、わけもなく、寂しく孤独で辛い夜にこんな自分を救える人間っているのだろうか?と考えた時に、そんな人間などこの世には居ないということを再度深く認識する。
結局私は孤独を愛しているし、人間を求めてもいないのかもしれない。
……そう思い込もうとしているだけで、あるいはその逆なのかも。
本質で私は人から愛して貰えないことを理解しているから、もう色々と諦めている。
夜独りの時間が出来たら色々なことを考えに考える。
考えないほうが幸せでいられることも、ひたすらに考える。
蜘蛛の巣状にどこまでも思考が広がっていく。
そういうときにどう思考を停止させるか?
もう、多少無理やりにでも眠るしかないのだ。
しかし広がり続ける思考の中では眠れるはずもなく、私は酒を嗜む程度に呑み、更に精神薬と睡眠導入剤を飲む。
もちろんちゃんと次の日のことを考えた量で、超短期型の睡眠導入剤しか服用しない。
(そもそも過去にODで未遂経験があるので軽い当たり障りのない薬しか処方して貰えないのはあまり人には言いたくないことのうちの一つ)
そうすると当たり前だが騒がしい脳が落ち着き、眠りに入りやすくなる。
自滅的で馬鹿みたいなやり方でしか眠ることができない。
自滅的でない、健康的な方法で眠りにつきたい。
反〇〇
なんにでも反〇〇って居るよね。
最近だと反ワクチンだろうか。
私の周りだけでも2人程反ワクチンの人間がいる。
実母と姑だ。
疑うことが悪いのではない。(私も若者がワクチンを打つメリットデメリットを考えたりするので)
何がいけないかって、ネットの素人情報に踊らされていることだと思う。
声や主張の大きい方に流されて真実を見れてないんじゃないのかな。
私の父方の祖父母宅は80歳で持病もあるけれどワクチンを接種した。
私がワクチンを打つ理由のひとつは、リスクを抱えながらワクチンを打った祖父母(その他の人も然り)に早くお互いが安心して会いたいから。
やっぱりワクチンというものは、みんなが打たないと意味が無いと思うんだよ。
国民がみんな打ってやっと初めてコロナが終息に向かうんじゃないのかなと思う。
誰にも強制は出来ないし(アレルギーや持病がある方もいるしね)、納得して打つべきものだけど必要以上に怯えるのはこの先の解決の妨げになっていると思う。
実母には再々、ワクチン打とうよと連絡している。
先日反ワクチンの落語家の方が亡くなったのでその件も伝えてみたけれど、どうも変わらなさそう。
彼女はワクチンを打つと持病のある自分は死ぬと思っているみたい。
普通に考えたらワクチンで死ぬよりも、コロナにかかって重症化になり死ぬ確率の方が高くないか?
私も9月の初め頃に接種予約したのだけど、正直副作用は怖い。
ピルを飲んでいるので飲んでいない人より血栓リスクも大きい。
それでも死なないことを願って、打つ。
禿げたらブログのネタにしようと思う。
ほら、また。
タイムリープしてるの?ってくらい同じことの繰り返し。
金銭面的にも精神的にも社会的立場も弱い自分は結局表面上許すしか選択肢がない。
許した以上はずっと不貞腐れた態度な訳にもいかず、私はまたこの家でピエロを演じる。
忘れたみたいな顔をして。
この苦しい感じはいつか終わりが来るんだろうか。
このまま我慢し続けて70歳くらいになった頃にふと全てどうでも良くなりそうな気がしないこともないけれど、それってつまりあと40年ってことで、それはあまりにも長すぎるな。
私は家族を愛してるのか。
死んだら多分泣くと思う、でも日常煩わしいと思ってしまうことの方が多くて。
それは自分が非情だからなのか。
もっと人が好きな人間になりたかった。
人と一瞬でも目を合わせたくないから、外にいる時私はそっぽを向きがちだ。或いは俯きがち。
経験上人と目を合わせて良かったことってほとんどない。
見定める目に耐えられない。
対人恐怖症とまではいかないと思う。
常識の範囲の対応をしてと言われたら、普通に挨拶もニコニコも出来る。
第一印象は繕えるタイプなんだけど、2回3回会うとなると発展する会話がなくてつまらないやつだってことがばれる。
人と深い話が出来ない、腹を割って話せない。
私は人との繋がりを求めてるわけじゃないんだろうなぁ。
スーパーとかドラッグストアの客と店員くらいの関係性が一番最適だなと思う。
ありがとうございますと言い合って締めくくられる関係。
長い付き合いって自分には無理だ。
おそらくリセット癖というものに近い。
時々この世に1人の親友のことももう切ろうかなぁとか考えてしまったりすることがある。
彼女とはおそらく年寄りになっても連絡を取り合う仲だと思うけれど。
表面張力とバケツの水
昨日の続きであり、続きではない話。
表面張力とバケツの水とは私のこと。
今の状態を簡潔に表すとしたら表面張力ギリギリ溢れそう、だろう。
離婚する・しない
子供はどうする・どっちが引き取る
住む場所は・金銭面は
普通の人でもきっと頭がいっぱいいっぱいになるだろう。
付き合わなければ
妊娠しなけれぱ
結婚しなければ
産まなければ
あの時もっと早く離婚しておけば
振り返ってみると私の結婚生活はたら・ればの後悔だらけだった。
もともと一人でいることが苦でなく、むしろ好んで一人でいることが多かった私に結婚という拘束生活は合わなかったんだろう。
自分のことしか信用できないし絶対に自分がこうだと思ったことは曲げない、こんな人間が誰かと人生を共有し同じ屋根の下で暮らす、なんてのは元から不可能だった。
人間関係を築くということはメリットもあると思うけど、圧倒的にめんどくさいことの方が多い。人は嘘をつく。平気な顔をして裏切って私に笑いかける。
人間って追い込まれると本当に食欲が失せるんだなと不思議に思う。
毎日食事とおやつだけが楽しみだったのに、食欲が湧かない。
とにかくいまはもうずっと横になっていたい。
でも湯船には浸かりたい。
結婚してからは節約のためほぼシャワーで済ましていた。
好きな音楽を聞いて、時々ぼーっとすることはとても癒される行為だ。
1人でいれば長湯も出来る。後のことを考えずに。
私名義の1台しかない車も、夫が社用として使っているから私は日中どこも行けない。徒歩以外はね。
圧倒的に自由が足りなかった。
私が爆発すると夫はごめんね、努力すると毎回毎回毎回、本当に一字一句同じセリフを口にする。
そこで本当になにか信頼回復の努力が垣間見れたら希望も持てるのに、許した次の日(下手したら半日)にはもう忘れたみたいに普通の生活に戻っている。
まさに口先だけとはこのことで、その行動に毎回うんざりさせられたし失望してきた。
この先同じことで何回爆発するんだろう、がっかりするんだろうって考えるだけでも疲れる。
しんどいな、死んだ方が幾分も楽だろう。
死ねないからこうやって文章に綴る。
緩やかに死に向かう
余裕がなく、文章を書こうという気になれなかったのだけど、生活が変わりそうだから書いてみる。
私は昔も今も「家族」という括りに苦しめられている。
私の母親はいわゆる監視・支配型の毒親で、大人になってもそれは変わらず、できれば会いたくないなあって思いながら、だけども自分を産み育ててくれた人だからという思いで、縁は切らないでいる。
親と関わることは精神的負担だ。幼少や思春期の頃を思い出しては死にたくなる。
大人になったいまの私にはまた新たな家族が出来た。
それって傍から見れば幸せな事かもしれないね。
子供もいて、猫もいて、裕福でないけどそれなりには暮らせている。
私の夫は、私と付き合っている時に同時進行の女がいた。
私の前では別れている、向こうが別れてくれない、といいながら、当時の夫が住んでいたひとり暮らしの部屋へ招いて性行為に及んでいた。
性行為って、同意なくはできないものよね。
夫がその女と本当に別れる時に、女が「(夫の子を)子宮外妊娠している」と言い出した。
本当か嘘かはいまではわからないけど、おそらく本当なんだろう。
夫は逃げ、その女はそのまま流産したのか堕ろしたのか…とにかく夫と女の子供はこの世にはいない。
それから引越しを経てやっとようやく平和な日々が来たと思ったら、今度は私が妊娠した。
いわゆるデキ婚をした。もうしょうがなかった。
私には堕ろす度胸はなかった。夫と結婚するしかなかった。
思えばそれが全ての間違いで、あの時避妊しておけば、産まない選択をしておけばと。
悔やんでも悔やみきれない。あの時の自分は馬鹿だった。
結婚してからも、私は時々おかしくなった。
理由は夫の二股を許せないでいたから。
二股かけた挙句相手の女妊娠させて堕ろさせた鬼畜が、私はどんどん憎くなっていった。
昔は確実に好きで一緒にいたはずなのに、いつのまにか復讐するために一緒にいるようになった。
好きでも、愛してもないのに、5年間暮らした。
私が相手の女に攻撃されていた時期も、夫は私になんのフォローもしてくれなかった。
そういう人間だったんだよなぁ結局。
全部わかってたのに、なぜか悔しくて結婚してしまった。
相手の女はきっと夫と結婚したかっただろうけど、でも彼が最後に選んだのは私だったんだよという優越感に浸りたかった。
人を憎んだことがある人ならわかるだろうけど、人を憎み続けるのって案外自分がすり減る。
自分がしたことをまるで忘れたみたいに生活する夫を見ていると本当に腹が立った。憎かった。
不貞したその手で子供に触れるのも、気持ちが悪かった。
全てが受け入れられなくなっていた。
ストレスは私の体調や精神状態も悪くさせた。
痩せへのこだわりが強くなり、毎日何度も何度も、それこそトイレへ行くたびに裸で体重計に乗るようになった。
下剤をたくさん飲むようになった。
週に3回10kmのランニングをしないと太るのではと落ち着かなくなった。
bmiは16ほどになり、顔もやつれた。
夜に眠れなくなった。その反動か1人で過ごす昼間に起きていられなくなった。
…というよりも辛い1日を早く終わらせたくてあえて眠り続けていたのかもしれない。
とにかく昼間は動かず1人きりで眠っていたかった。
しんどいこともきついことも、眠っていればその間は消えてくれる。
眠りがなによりの救いだった。(これは今もそうだけど)
今日はちょっと疲れてしまったので、ここまでで。
気が向けば続きを書こうと思う。