天気よりも変わりやすい
夏は天気が変わりやすくて嫌ですね。午前と午後で全然天気が違ったりする。
今日も午後になってから雷がゴロゴロと唸りだし、雨が降り始めたので急いで干してあった洗濯物を取り込んだ次第。
ところで、こうやって生きるために毎日何かをしていなくちゃいけないの、しんどいなぁと思います。
朝起きるのだって辛いし(働いている人はもっとずっと辛い)顔を洗うのだって、料理をして食事を取るのだって、汚れたお皿を洗うことだって、洗濯物を洗って干すことだって、掃除機をかけて床を拭くことだって、お風呂に入ることだって、全部よっこらしょのしょがないと出来ないし酷い時は出来ない。
むしろできた時にはめちゃくちゃ心の中で自分を褒める。
とことん生活をしていくことに向いていないと感じる日々。
私一人なら、絶対もっといろいろやらないなってこと正直いっぱいある。
「旦那に養われている」という気持ちや申し訳なさから「自分も何かしなくてはいけない」とヂリヂリする。
思えば私は結婚というものには向いてないように思う。人に甲斐甲斐しくあれこれ出来るほど、精神的な気持ちの余裕がない。
結婚する前の方がずっと気持ちが軽やかだった。
結婚して他人が他人じゃなくなることって本来もっとずっと重たい事ではないのだろうか。
義両親との兼ね合いだってあるだろう。私は(さっくり言って)義両親が嫌いなのでちょこちょこ発生する「実家イベント」がほんっとーにはちゃめちゃに苦痛なのである。
旦那だってそりゃあ他人なのだけれども旦那の両親なんてもっとずっと他人じゃん!
はぁーこうやって書き連ねているだけでも胸がグググーっと狭くなる。
他人なうえに義両親達は創/価/学/会の信者なのでなんか義実家には仰々しい創/価の仏壇があるし、よくご老人が集まる集会の場で悪徳業者が押し売りしている(伝わるだろうか)謎の「電気が流れて様々な体の不調がみるみる治る奇跡の椅子」みたいなのも置いてあるし、私が体調を崩した時期があってその時も「毎朝(仏壇に向かって)拝んでいるよ」と笑顔で言われたこともある。
お墓だってない。学/会/員達が亡くなったら入る総合の墓(他になんと言えば良いのかわからない、詳細知りたかったらググってみてください)があるのでそこに入るそう。
えーーーめっちゃ嫌だーー、その施設?お墓?立ち入りたくないよー!
小学校の頃仲が良かった同級生の家が創/価で執拗に勧誘されたことから私の創/価/学/会アレルギーが発症したのだと思う。
「それ」を信じて毎日拝めば必ず幸せになれるなんて爛々とした目で語られてもマジっすか?と眉間に皺が寄る。
自分が信じるものを崇めて前向きに生きていくのはいいと思う!頑張れ!!って思うけどそれを拒否する人達に勧めまくるのはどうかと思うよ私は。
なんかお天気の話からだいぶ飛躍してしまったんですけど要約すると
・夏の天気は不安定、変わりやすい、洗濯物注意
・結婚する時は結婚した後の生活ことまで考えろ
・義両親とうまくやっていけるのか?宗教観に違いはないのか?
・創/価/学/会/員は目が爛々としている
ということです、さようなら!